テクサーカナ (Texarkana)
ボウイ郡およびアーカンソー州のミラー郡を合わせたテクサーカナ (テキサス州)・テクサーカナ (アーカンソー州)大都市圏を構成しており、その中核都市である.
テクサーカナ付近の広大な地域では鉄道がもたらす可能性が早くから分かっていた. 1850年代後半にカイロ・アンド・フルトン鉄道の建設者がアーカンソー州を横切って着実に鉄道を延伸させていた. 1874年までにレッド川を越え、テキサス州境に到着していた. この年2月16日の3月19日の間で、列車がテキサス州境とレッド川の間を走り、乗客と貨物は船でフルトンまで渡され、その先はまた列車に乗った. 1874年3月20日にレッド川橋が開通し、その日から列車はテクサーカナからセントルイスまで走った.
1870年代は鉄道建設者の間に鋭いライバル関係があった. テキサス・アンド・パシフィック鉄道がテキサス州を横切りアーカンソー州境に達した. 州境は別々の鉄道が接続する物流拠点だった. 1873年12月8日、テキサス・アンド・パシフィック鉄道が、後のテクサーカナ市の最初の区画を販売した. 最初の購入者は、ユニオン駅の対面、現在ホテル・マッカートニーが立っている土地を購入したJ・W・デイビスだった.
テクサーカナという名前を誰が付けたかは不明である. 一般に広まっている話ではガス・ノーベル大佐であり、リトルロックから州境までアイアンマウンテン鉄道の通行権を測量した. 1枚の板に「テックス・アーク・アナ」("TEX-ARK-ANA")と書いて1本の木に釘で打ち付け「これがここに建設される町の名前だ」と言ったとされている.
アーカンソー州のミラー郡は、一旦廃止されて後に再建されたことでおそらく国内唯一の郡である. 1820年に設立され、アーカンソー州初代知事のジェイムズ・ミラーに因んで名付けられた. 設立されたとき、郡とメキシコを分ける国境がかなり曖昧なままだった. その結果、開拓者達はメキシコが所有しているかもしれない土地にアーカンソー州が課税し徴収していると考えた. さらにメキシコ人によってテキサス人が抑圧されていることに多くの者が不満を抱き、公然とテクシャンに対する同盟を宣言した. このことで、不安定な状態が生じ、テキサス共和国が設立された後はさらに悪化した. 1838年、アーカンソー州知事のジェイムズ・コンウェイは「最も容易で効果的な修復法はミラー郡を廃止して、より愛国的な地域に付設することである」と提案した. その時から1874年まで、この地域はラファイエット郡の一部になっていた. その再設立の話は1873年にテクサーカナの町のロットを販売したことから持ち上がった. テクサーカナの町は1874年6月12日に設立された. さらに法人化は、町ができて7年近く経った1880年10月17日になってから実現した. 1873年12月8日は両州のテクサーカナが組織化された日と認められている.
地図 - テクサーカナ (Texarkana)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
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